箱田優子監督の半自伝的作品

 映画『ブルーアワーをぶっ飛ばせ』は、Netflixドラマ『ヒヤマケンタロウの妊娠』でも、監督を努めているCMディレクターの箱田優子監督の半自伝的映画作品です。また、夏帆、シム・ウンギョンの演技が光る作品になっています。

この映画には、関連作品として、箱田監督自身によるコミック版『ブルーアワーにぶっ飛ばせ』が出版されています。

 その本のあとがきで、箱田監督が、清浦が砂田のイマジナリーフレンドであることを明かしています。

画像1

イマジナリー・フレンドについて

 一般的に、イマジナリー・フレンド(想像上の友達)と言われる現象は、児童期によく見られる一時的なものとされています。

 しかし、稀に、思春期や青年期以降に現れたり、児童期以降も、消えない場合があるそうです。

イマジナリー・フレンドの役割として、孤独や寂しさ、母性の不足の埋め合わせ、抑えられている衝動(欲動)の代行などが挙げられます。

 以前、『ぼくのエリ 200歳の少女』を、ヴァンパイアのエリをエディプスコン・プレックスを克服するためのイマジナリー・フレンドと解釈する記事をアップしました。

画像2

砂田のイマジナリー・フレンドとしてのキヨ

 前述の通り、監督自らが種明かしをしていますが、清浦(キヨ)が、砂田のイマジナリー・フレンドであることを示すヒントは、作品のいたる所に隠されています。

ヤン坊マー坊を模したS(砂田)&K(清浦)のキャラクター、砂田の部屋で“ツナ婦人”をタバコを吸いながら製作するキヨ、砂田の幼少時代の落書き帳に書かれているタバコを吸っているキヨ、今どっちと聞く母親、キヨが書かれているノートを見る兄、バイバイと言ってブルーアワーに消えていくキヨ、その後車から消えていたキヨなどが、挙げられます。

そして、砂田のイマジナリー・フレンドとしてキヨが現れる背景についても、先述の条件にいくつか該当しています。

まず、祖母の家で、暫くの間、家族と離れて暮らしており、寂しさを紛らわすために、キヨが描かれています。

また、砂田は、父権的な男性社会である田舎や父親に嫌悪感を示しています。また、学校の先生をしている兄を敬遠しています。

そして、タイトルにもなっている、ブルーアワーのときにのみ、彼女は、パーフェクトワールドと表現する通りに、全力疾走ができ、振り向くと必ずキヨが、見守っています。

このようなことから分かる通り、フロイトの言う、砂田は、エス(欲動)が強く抑圧された存在であり、キヨはそのエス(欲動)を代わりに実行してくれる存在であったと推測できます。

だから、キヨは、子供のような振る舞いで、自由奔放な人物として表現されています。

画像3

攻撃的な欲動

 さらに、砂田に、精神的に限界が来ていることが、作品全体を通して伺うことができます。

  その一例として、電話で、怒りの欲動を抑えながら、SとKの双子のキャラクターの片方であるS(砂田)の顔を、オレンジ色に塗りつぶす場面があります。

 また、スナックでも、怒りの欲動を押さえながら、笑顔を取り繕っていますが、抑えきれず、突然、スマホを床に投げつけます。

これらからも、砂田が、“攻撃的な欲動”を押さえ切れなくなっているのが読み取れます。

その最大の回避方法が、今までは、清浦との会話なわけですが、それだけでは、押さえ切れなくなっていることが覗えます。

たとえば、俳優富樫との不倫が、それに当たります。

そして、作品の中で、もっと執拗に描かれているのものがあります。

 最初の方で、砂田をマグロに例え、”止まったら、死にそう”と表現していますが、フロイトで言う、死の欲動みたいなものです。

少女時代の記憶である、虫への虐待、仔猫との別れ、犬を轢きそうになった感触の回想や、スズメと車のシーンなど、繰り返し描かれています。

 そして、さらに、 祖母の一時的な回復や、南果歩が演じる母親が、“人間のわがまま”と表現する、“人間の欲動”としての、生と死の揺らぎを、この映画の主題として感じ取ることができます。その記号的表現として、蝉などが効果的に使われています。

画像5

イマジナリー・フレンドのキヨが消えた理由

では、なぜイマジナリー・フレンドのキヨとお別れをすることができたのかを、読み取る必要があるかと思います。

まず第一に、砂田(夕佳)を、祖母が愛してくれていたこと、また、母親や兄がイマジナリー・フレンドとともに、受け入れてくれていたことを再確認できた点です。

そして、第二に、“ダサい”と表現される砂田の“欲動”をキヨと同様に、夫である篤が全て受け入れてくれていた点です。

 第三に、父権的だと思っていた家庭が、父親や兄に対する母親の視線を通して崩壊していった点です。これは、エスを押さえていた超自我の圧力が弱まったと解釈することもできます。

したがって、嫌いだった故郷の2日間を通して、砂田の心の重りが、だいぶ取り除かれ、砂田自身が、自我を受け入れることができたと解釈することができるのではないでしょうか。

画像5

 『ブルーアワーをぶっ飛ばせ』は、イマジナ・リーフレンドを通して、主人公の心の変化や成長を、最大限に表現することに成功しています。